毎日が。

時々、思い出しますが、すぐに忘れます。これって、単なるボートしているだけで、病気ではありません。しかし、自分のペースを壊してまで、付き合うとなると違います。よって、その見えない空気による影響はすごく怖いです。下手すれば、神経症という名前をつけられてしまいますので、カルマを受けた処理をしないとあとが大変です。これは、薬では解決できないことで、ただ、痛みを押さえているだけです。よって、修行的に言えば、ヨガと同じように、タマスになっていくだけで、粘液体質に変わっていくだけです。これこそ、次の病気を引き起こしかねません。

 

この対処方法はありますが、体から、鈍くなることの方が多いかも知れません。知恵という方法もありますが、心と体ということです。そのようにとらえた方が無難です。これこそ、日本の公にされている、唯物派です。すべては心の現れというか、心です。チベットの唯物派とは微妙に違いますが、たぶん、日本では、こんな感じで言われているだけかも知れません。

そして、また、数珠を使うことにより、タマスを抜けることもできます。ラジャスもです。それは、火元素が強く、常に、イライラというか、気性が激しいという感じです。

また、賢いが故に、頭の回転が早いので、気をつけないと、いつの間にか、疲労困憊になり、酸素ボンベを必要としなくてはいけなくなるので、結構、見えない空気には気をつけませんと、振り回されると怖いです。

焦らない代わりに、自分の体を大切にすることを覚えていかないと、今までは、ということにはいきません。ある程度、自分の健康管理をしている人でも、その点、心と体のケアに近いことですから、しかし、修行とはそんな感じなのかも知れません。と思うのはわたしだけ?でしょうか?

 

どんなに空気で、変わってもです。例で始まり、礼で終わるという、ことをしていかないと、気をつけませんと、自分がおかしな癖が自然と身に付いて来てしまいます。また、体においても同じです。確かに、眠たいときに、体が猫背になったりしますが、dえきるだけ、熱を持っていたり、風があげられているときなどは、気をつけないと、癖をつけることになりますので、その点要注意です。どんなに、そのようになってしまっても、礼で終わるときは、礼節を守るということです。そこから、変えていけば、必ず行き着きます。それまで、大乗的に考えて、その縁起や、やっていた人たちを固唾毛手いけば、かなり早いはずです。収縮できます。それだから、かなりの大物が見つけることができます。たぶん、そう動かずに、噂をひろめるぐらいしかないですが、そんな感じの悪魔です。そして、いつもの騙されたなど、カルマの悪さです。

 

果たして、それが、自分の身近にいる人のことでしょうか?それが、難点です。慈悲とはありますが、しかしです。その事を配慮していかないと、反対に自分がそれで、やられてしまいますので、その点は気をつけませんと、無知になった時は大変、怖いです。

壊れると、大変ですね。その人の考えがでてきます。よって、まるで、友達にいっているような感じですが、それって、違います。心の思いと、その環境での感情が出てきますので、その点、空気といった方が早いかも知れません。思いと考えです。ストレスや、愚痴もたまにはですが、ためるとよくないですね。特にSBDでは。それが引き金になることもあります。しかし、賢くない人は、愚痴や、いいわけ等が多いです。しかし、今はその対象については省きます。だって、それは自分のカルマではないからです。カルマのいい人での対象がありますので、それが本来の対応でしょう。縁。