それぞれの仕事について。
かつての仕事を思い出しました。
それは、介護だったのですが、回数が増えてもそれをケアできないと、大変なことになります。すべて、病気が発生しますということです。
- どんなに、一人の人の、でかけっる回数が増えてもそれをケアしなければ、その人はストレスがたまり、病気になります。そのころは、色々とやっていたのですが、その人がやめたら、次に私がその仕事につきました。しかし、そのように出席回数が増えたのですが、それ以降ケアができなく、病気になった人がいました。数名です。
そして、またお風呂の為と言って増やしたいという人もいました。其れなりに、売り上げも変わっていたのに、それを、うまくできなくて、まとめることができなかったようです。それ以降は知りませんが、
リーダー曰く、向上心とは言ってましたが、あれでは、人を成長させることができません。
キャリアがあっても、年数だけで、仕事としては、できるほうではありません。其れなのに、上に立っている人がおおいのですから、うまくいかなくて当然です。かつての、日本ではなく、今の日本の仕事の在り方なのかな、思いました。上にたてる器ではないのに、。向上心って?ちょっと、はあという感じになってしまいました。このような人でもこのように言うのかなという感じです。少し笑っちゃいました。
何を学んだかという事にしても、思いました。感じました。でも同じなのに、それを学んだでしょうと言ってましたが、話になりません。もう少し、勉強したほうがいいと思います。知能が低いと、その人が勉強した人でしたら、そんな慰めで心が変わるのでしょうか?バカにスンナという気持ちになって当然です。自尊心が傷つきます。
いまだって、認知の事でテレビをして、孫からの一言で、更に切れ、暴力や、暴言、バカとか、ぶつとかですが、なったそうです。あまりにも、幼稚言葉で話しかけたりするのも同じです。信じられくらい、新成人ですね。
言わないと、わからないし、直せませんよね。自分では考えることはできないのに、それで、いい気になっていたり、感謝がなかったり、自分一人で成長したかのようにしてます。本当に信じられない性格です。そして、自分が言われればなくくせに人にはそれ以上の本来の嫉妬でけなすくせに、それで美徳ですか?って、感じ。
それがわかってたら、そんな言葉言うことではないと思います。それは人を傷つけているという事ではないでしょうか?結局、タントラって、密教の煩悩肯定って?何ですか?
- 密教の戒律の中に、
母タントラは貪を肯定とあります。皆さん、瞋恚を肯定してどうするんですか?自分の自己愛着、自分が愛されたいから、可愛がられたいから、嫌悪ですか?